世の中案外無責任

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最近思うんですよね。 行政って、きっちりしているようで、無責任ですよね。 書類とかルールとか法律とか守っていますっていうのは、大変良いのですが それ以上でもなく、それいかでもないという中途半端さがなんだかなーと感じます。 それは、会社でも同じなのです。

■1.社会は案外適当である

国民を守ります!と政治家が叫びだして久しい世の中。 法律作ります!皆さんが暮らしやすくなるように。 なんて言いながら、手続きを決めて暮らしやすくした風に見えるけど 結局、それは、時とともにに形骸化の一途をたどります。 会社も熱い思いで、規則を作ってもすぐに形骸化していきます。 なんでしょうか、できたときから、骨抜きにまっすぐと進んでいくというのは気持ちが悪いですね。 国民を助けますという前提は抜けて、なんというか不正を探しますとか抜け穴を埋めるというスタンスが 悪いのでしょうかね。 国民を助けますとか言いつつ、国民の中の数%の詐欺師を見つけることに必死になるのでしょう。 人を救うということは、だまされてもかまわない。という前提でないと 成り立たないのですね。 そして、だまされてもかまわないと国や会社は思ってはいけないのです。 その時点で、国と会社にできることは限りなく少なく、シビアな世界にあるのが現実です。

 

■2.責任は自分

結局、前提として、会社や国は助けてくれないのです。 もし、助けてくれたとしても、最後までフォローしてくれることはないです。 となれば、全てを決めるのは私たちなのです。 行政・会社から進言されることは、手続き的に決められていることであって、 それに従ったからといって、最後まで面倒を見てくれることはありません。 生活保護認定が形骸化していることが典型でしょう。 お金を渡して終わりではないのです。 その人がきちんと生活できるようにサポートし添い遂げないから不正受給が起こるんです。 きちんと、会社や行政の態度を見極め、対応することが大切です。 全ては自己責任であり、誰もサポートはしてくれません。 そして、会社や行政は、いい顔して進言してきても、最後まで連携したフォローはありませんです。 結局、頼れるのは自分であり、自己責任であるのです。

■3.あほらしいけれど

組織というものは、こんなにも融通が利かないものかと誰でも感じるところでしょう。
融通なんて利かないし、単に会社は、お金を得るための手段であり、
行政は、単に国という組織に所属し、纏まって暮らしていくために必要な物を提供するための組織であり
団体生活を送るうえでのルールを作り、運用するだけのものです。
つまり、会社であれ、行政であれ、私達の道具に過ぎないのです。
当然、道具を誤った使い方をすれば、使いにくいのです。
道具であるのに、使えないと文句をいうのはとってもばかげていますよね。
つかえないのではなくて、使い方を間違えているのです、
そして、多くの人が使えない前に、使い方を知らないために トラブルを抱えがちです。 行政も会社も単なる道具であり、使い方を間違えなければ 多大なる恩恵を受けられるものなのです。

だから、腹を立てる前に上手く利用して 得する生活してみたらいかがでしょうか?